父が亡くなった

2005年3月20日
なんていって良いのか到底判らない。
父が死んだ。。

その日は幼馴染の弟の結婚式があった一週間後で。
父に何かあったときの為に、皆、親戚一同が古家の大掃除を手伝ってくれた。
結婚式にきた人々から「父ちゃんに何か異変があったのか?」と心配されたりした。私はコメントしづらく、母がだらしないのを見かねて掃除の手伝いに来ている。と応えるのが精一杯であった。

結婚式が終わると、妹が車で迎えに来てくれた。

「お母さん、どうしようもないよ!!」
妹が嘆息する。また、台所に叔母たちがいた時、引きこもっていたらしい。

「E子ばかりに迷惑かけてごめんね 」
「大丈夫だけど。。。あいつ私にまた切れてたよ。本当相手していてこっちが疲れるんだ・・・」

妹は母に切れる。私はそんな妹に何も言ってやれない。
母は父が入院してから一度もまともに面倒を見ない。
病院に連れて行っても、父が怒る、母は逃げ出す、妹は買い物に行く、私は。。

何をしていただろう。とにかく深夜の付き添いは何時も私だった。

父は脳しょうが出てくる。と言った私の言葉を気にして何時も手に、将棋のゲーム機を持ち、黙々と頭の体操をしていた。

一日中の点滴、栄養は体に回らず、お腹に溜まり、二日に一度、
2リットルも腹水を抜いていた。

その腹水の色はほんのり血が混じり、茶色に近かった。

「栄養のある水を抜くので、体は衰え、衰弱します。脳しょうももうすでに出ています」

医師の言葉は辛らつだった。

わたしは3月2日に救急車で一緒に父と病院にきた時、初めて、腹水を抜いた後、この言葉を言われた。

運ばれた父のお腹は、妊婦のように膨れ上がり、右の肺が水で埋まっているとまで言われ、私は顔から血が引いていくのを感じた。

父は腹水を抜いてすっきりしたのか放心したようだった

父はその日一睡も出来ず、自分の状況にただただ、絶望していたようだった。
私は痛々しいその姿を見て、思いつくだけの言葉で励ました。

どんなに暗い底でも光は必ず見えてくるはずだ。。

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